Arch Kerry|「流麗な」アメリカ靴を今日に再現
最初の出会いは対極のアメリカ靴
飯田橋駅から約10分、かつてここを都電が走っていたとは思えないほど急傾斜な安藤坂の中ほどに、アーチケリーのオフィスはある。「ここは大分昔、当時増えてきた東京駐在のアメリカ人の方のための住居として建てたんだそうです」こう語るディレクターの清水川 栄(しみずかわ さかえ)さんは、靴業界に入った時からそんなアメリカの影響を大いに受けていた方だ。とは言っても、いきなり「ビン靴」にのめり込んだのかと言われれば、そうではないのが面白いところ。清水川さんが靴に関わり始めたのは大学生の頃、神保町のとある老舗の靴店でアルバイトを始めた時に遡る。今でも当時と全く変わらない雰囲気で営業するこちらは、一見どこにでもありそうな街の靴屋さん。しかし実は靴好きを唸らせる隠れた名店で、特にアメリカのインポート紳士靴の品揃えには定評がある。また、昔から登山系のお店の多い神保町だからか、ドレス系でだけでなくレッド・ウィングやダナーのようなアウトドア系も豊富だ。特にダナーの靴は、マスター(このお店の常務取締役。清水川さんは当時と同様にこう呼ぶ)のイチオシで、従業員も何足と購入することが多かったそうだ。因みに筆者(飯野)は、当時の同店で清水川さんに非常に素晴らしい接客をしていただけたのをハッキリ覚えている。
「ビン靴」の魅力が新たな気付きをもたらす!
「思えばあそこでアメリカ靴の『実用の美』みたいなものを、身をもって吸収できたんですね」やがて同国のドレスシューズにも興味が湧き出した清水川さんは独立後、靴のインポートに携わるようになったのは自然なことだろう。ところが次第に、大好きだったはずの靴に情熱が向かなくなってくる。既存の輸入代理店のからみで仕入れたくても仕入れられないものが出てきたりしたのもあったが、何より新しい靴や新しいブランドを見ても、以前のようなワクワク感が無くなってきたのだ。その理由が解らず、思い詰める日々が増えたそうだ。
自らのキャリアパスとガチっとつながったアメリカの「ビン靴」は、それこそ夢にまで出てくるようになり、清水川さんはついに自らもそれらを、更にはカタログなどの紙資料に至るまで収集し始める。そしてある重大な事実に気付くにいたる。IVY以前の「キレイなアメリカ靴」は、新品では誰もまだ手を付けていない分野だ… 同じ頃ネットを検索していると、パターンオーダーで作られた「『ビン靴』の意匠を有した国産靴」を自慢する一般ユーザーの投稿をチラホラ見るようにもなっていた。「この種の靴を新品で本気で作れば、絶対にファンがついてくる!」
日本のインフラならまだ「再現」できる
こうして清水川さんは自らのブランドで「ビン靴の完全復刻」を目指すことになった。困難が予想されたものの、決意を固めるとチャンスは一気に訪れてくるもの。浅草でメキメキ頭角を現してきた靴職人・舘 篤史(たて あつし。自らもオーダーシューズブランド・SANTARIを運営する)さんとあっという間に繋がり、製造を依頼することに。最初は靴の詳細な構造までは理解しきれていなかったので、舘さんにはある意味イメージ優先で指示を出していたそうだが、「木型から最後の仕上げまで、1年以上掛けて試作を繰り返すうちにどんどん『本物』になってゆくのが、もう嬉しくて。とは言えいつも舘さんは『これで本当にいいのかな?』みたいな顔をなされるのですが(笑)」。更なる幸運はタンナーとの出会いだった。年2回開かれる東京レザーフェアに理想の革質と色の「ビン靴」を持って出向き「これと全く同じ革をつくってくれませんか?」と出展企業のブースを駆けずり回った清水川さん。ほぼ全てのブースで困った顔をされたものの、一件だけ、草加のタンナー・大東ロマン(株)が快諾してくれた。「これで製品化が一気に現実のものになりました」。「ビン靴」のアッパーは、こうしてアーチケリーの誇るレージングカーフとして蘇ることになる。
このレージングカーフは確かに、近年紳士靴好きに人気のあるフランス製やイタリア製のカーフとは趣が少々異なり、ひたすらソフトで肌目もキメ細かく、そして色味の透明度がとにかく際立つ。特に最も薄い色味のややオレンジ掛かった「タン」色でそれが顕著で、オーダーでも圧倒的な人気を誇るのも頷ける。また、同じレージングカーフの型押しバージョンやチャールズ・F・ステッド社製の銀付きスエードであるジェイナスカーフも、他のブランドではなかなかお目にかかれないため、指名受注が多いのだとか。これらの革は、細かなステッチが際立つだけでなく、例えばヴァンプとクウォーターの境界部にも「ビン靴」と同様の折り込みの始末=カールエッジも可能なので、靴全体がスッキリとした印象に仕上がるからだろう。
ディテールのみならず履き心地も当時のまま
アッパーの革質の繊細さと柔らかさは実際、アーチケリーの靴の履き心地に直結している。スマートなフォルムとは対照的な足全体をフワッと優しく包むような着用感は、ここ数十年の既製靴では滅多に味わえなかったもの。これにはアッパーとライニングとの間に入れる補強芯=ダブラーの材質も上手く作用しているかもしれない。今日他のブランドでは不織布だったリネン生地だったり革だったりと様々だが、アーチケリーでは「ビン靴」と同様に、厚さ1mmのフエルトを採用。ステッチのピッチや本数、鳩目の数やポジション、コバの張り出し方のようなビジュアルな特徴のみならず、そのような見えない箇所にまで徹底することで、当時の靴の再現に努めている訳だ。
目指すはアメリカ靴の歴史的体系化
ブランドが一気に認知されたが故に、細かなリファインだけでなく次なる目標や展望にも手抜かりはない。まずは足囲の展開。アーチケリーの靴は現状やや細身のDガースのみだが、さらに細い足の持ち主にも対応できる体制に早く持ってゆきたいとのこと。そして、アメリカ靴に欠かせないスリッポンのコレクションに付いても、将来的な展開を見据えている。「意外に思う方もいるかもですが、実はアメリカの靴は新たな意匠や仕様、それに素材や理論に積極的にチャレンジし続けて来たのも事実なんです。そこまで含めたアメリカ靴の『歴史』を体系化するようなブランドに出来たらと思っています」
サイズ:US5~10 0.5ピッチ=1/6インチ(約0.42センチ)ピッチ。左右別サイズや「載せ甲」にも対応。
アッパー:文中のレージングカーフやジェイナスカーフ以外にも、バックスキンやコードヴァン等でもオーダー可能。
価格:13万5300円(税込)~ ※オプション代は別途
納期:現状約4か月
お問合せ:Arch Kerry archkerry.com
※この情報は2021年3月のものです。最新の情報についてはお問合せ先にご確認ください。
取材・文:飯野 高広